ITシステム障害対応の体制を構築する際、PagerDutyに代表されるSaaS型のインシデント管理ツールを導入するのが近年の主流ですが、なかには自社独自のインシデント管理システムや障害対応ツールを一から作り込む「フルスクラッチ・オーダーメイド開発」を選択する企業もあります。既製のSaaSツールは導入の速さとコストの手頃さが魅力である一方、自社特有の業務プロセスや、長年運用してきたレガシーシステムの仕様、あるいは極めて厳格なセキュリティ要件に、既製ツールの標準機能だけでは対応しきれないケースも存在します。フルスクラッチという選択肢は、こうした「既製品では満たせない要件がある」企業にとって現実的な選択肢になり得ますが、その分だけ相応のコストと期間、そして開発後の保守負担を覚悟する必要があります。
「自社の複雑なエスカレーションルールをSaaSの設定だけでは表現しきれない」「機密情報を社外のクラウドに一切出せない」といった事情から、フルスクラッチ開発を検討し始めた担当者にとって、既製ツールとの比較や、どのような企業がフルスクラッチに向いているのかという判断軸を持っておくことは非常に重要です。安易に「自社専用だから」という理由だけでフルスクラッチを選んでしまうと、開発後の保守負担や仕様変更への追従コストが想定以上に重くのしかかり、結果的に既製ツールを使うよりも割高になってしまうという失敗も少なくありません。本記事では、ITシステム障害対応のフルスクラッチ・オーダーメイド開発について、既製SaaSツールとの比較、フルスクラッチが向いている企業、SaaSベースにカスタマイズを加える中間的なアプローチの事例、そして判断軸までを体系的に解説します。
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フルスクラッチ開発とSaaSツール利用の比較

障害対応システムを自社独自にフルスクラッチで構築するか、PagerDutyのような既製のSaaSツールを利用するかは、コスト・期間・自由度のバランスが大きく異なる意思決定です。それぞれのメリット・デメリットを正しく理解したうえで比較検討することが、後悔のない選択につながります。
フルスクラッチ(オーダーメイド)開発のメリット・デメリット
フルスクラッチ開発の最大のメリットは、自社の特殊な業務プロセスや、古いオンプレミス環境などレガシーシステムの仕様に100%適合したシステムを構築できることです。また、機密情報を社外のクラウドに一切出せないなど、官公庁や防衛関連といった極めて厳格なセキュリティ要件を満たす必要がある場合、フルスクラッチはほぼ唯一の現実的な選択肢になります。一方でデメリットも大きく、初期開発には数百万〜数千万円規模の多額のコストと、数ヶ月〜数年単位の長期間を要します。さらに開発が完了した後も、システムの保守・運用、機能追加、そして連携先となるSlackや監視ツールなどの周辺ツールの仕様変更に伴う改修を、すべて自社で担い続ける必要があります。この保守負担は年月を経るごとに積み重なり、放置すれば技術的負債になりやすい点が、フルスクラッチ最大のリスクだといえます。
既製SaaSツール利用のメリット・デメリット
PagerDutyなどの既製SaaSツールを利用する最大のメリットは、サブスクリプション契約によってすぐに利用を開始でき、フルスクラッチと比べて初期コストを大幅に抑えられる点です。Zabbixや Datadogなどの監視ツールや、Slack・Teamsなどのチャットツールとの連携(インテグレーション)が標準で用意されているため、自動化の実装も容易に行えます。デメリットとしては、基本的なワークフローはツール側の仕様に合わせる必要があるため、自社の既存プロセスを一部変更(標準化)しなければならない場面が出てくることです。とはいえ、多くのSaaSツールはAPIやWebhookによる拡張性を備えており、標準機能だけでは満たせない部分を自社でカスタマイズ・連携開発することで、フルスクラッチほどのコストをかけずに自社独自の要件に近づけていくことが可能です。まずは既製ツールの拡張性でどこまで要件を満たせるかを検討することが、コストとスピードの両面から合理的な出発点になります。
フルスクラッチが向いている企業

フルスクラッチ開発は相応のコストと期間を要するため、すべての企業にとって最適な選択肢ではありません。以下のような特定の条件に当てはまる企業にとって、初めて現実的な選択肢になります。
規制・セキュリティ制約でSaaS利用が難しい企業
第一に、法的・セキュリティ的な制約により、クラウド型SaaSの利用そのものが一切禁止されている企業です。官公庁や防衛関連、金融機関の一部システムなど、障害情報や連絡先情報を含む運用データを社外のクラウド環境に一切置けないという厳格な規定がある場合、既製SaaSツールを利用する選択肢自体が最初から除外されます。このようなケースでは、オンプレミス環境で完結する独自のインシデント管理システムをフルスクラッチで構築するか、あるいはオープンソースソフトウェアをベースに自社のセキュリティポリシーに合わせて大幅にカスタマイズするかの二択になります。いずれにしても、既製SaaSの標準的な導入スピードは期待できず、要件定義段階からセキュリティ要件を精緻に反映させる、相応の時間をかけたプロジェクトになることを前提に計画する必要があります。あわせて、監査対応やログの長期保存要件など、業界特有のコンプライアンス要件がある場合も、既製ツールの標準機能では対応しきれないことがあるため、要件定義の初期段階で監査部門やセキュリティ部門を巻き込み、必須要件を早期に洗い出しておくことが手戻りを防ぐポイントになります。
独自の複雑なエスカレーションルールを持つ企業
第二に、事業構造や組織体制に起因する独自の複雑なエスカレーションルールがあり、SaaSツールの標準的な設定機能ではどうしても表現しきれない企業です。たとえば、複数の事業部・グループ会社・海外拠点をまたいで、障害の種別や影響範囲に応じてエスカレーション経路が細かく枝分かれするような組織では、既製ツールの汎用的な通知ルール機能では対応しきれない場合があります。ただし、こうしたケースでも、まずは既製SaaSツールがAPIやWebhookを通じてどこまで柔軟にカスタマイズできるかを十分に検証したうえで、それでもなお表現しきれない部分だけをフルスクラッチで補完する、という段階的な判断をお勧めします。エスカレーションルールの複雑さを理由に安易にフルスクラッチを選択すると、開発後にルールそのものが変更になった際の改修負担まで自社で背負い込むことになるため、慎重な見極めが必要です。
SaaSベース+カスタマイズという中間的アプローチ

現代の大企業やメガベンチャーの多くは、フルスクラッチでゼロから開発するのではなく、既製のSaaSツールをベースにAPI連携やカスタマイズを行い、自社の運用に溶け込ませるアプローチを主流として採用しています。
LINE社によるカスタマイズ事例
LINE社の事例は、フルスクラッチ開発を行わずに「自社独自の体制」を実現した好例です。同社はPagerDuty等のインシデント管理ツールを単にそのまま導入したわけではなく、自社が長年蓄積してきたシステム運用プロセスやドキュメンテーションの習慣に適合するよう、ツール側のカスタマイズやAPI連携を独自に行いました。その結果、インフラエンジニアの作業フローに違和感なく溶け込む形で、ツール運用そのものを最適化しています。この事例が示すのは、既製ツールを「そのまま使うか、まったく使わないフルスクラッチにするか」という二択ではなく、「ツールの標準機能をベースに、自社に合わない部分だけを連携開発・カスタマイズで補う」という第三の道が、多くの企業にとって現実的な落としどころになるということです。
汎用チケット管理ツールのカスタマイズ活用
もう一つの現実的なアプローチとして、RedmineやJiraといった汎用のチケット管理ツールを、インシデント管理ツールとしてカスタマイズ利用する方法も広く採用されています。これらのツールをDatadogなどの監視システムと連携させることで、アラート発生時に自動でインシデントチケットを起票し、自社の対応フローに乗せて管理する運用が可能になります。すでに社内で使い慣れているチケット管理ツールを流用できるため、新たなツールの操作習得コストを抑えつつ、自社のワークフローに合わせた柔軟なカスタムフィールドやワークフロー設定を追加できる点がメリットです。フルスクラッチで専用のインシデント管理システムを一から作るのではなく、既存の資産を組み合わせて「自社独自の体制」に近づけていくという発想は、コストを抑えながら実用性を高めるための有効な選択肢の一つです。
「全部フルスクラッチ」ではなく「不足部分だけ」を作る発想
フルスクラッチという言葉から「インシデント管理システム全体を一から作る」ことをイメージしがちですが、実務上はシステム全体をフルスクラッチにする必要があるケースはむしろ稀です。多くの場合、既製ツールや汎用ツールで対応できる部分(通知・チケット起票・ダッシュボード表示など)はそのまま活用し、自社固有の要件がある部分(独自の権限管理、特殊な監査ログ要件、社内システムとの認証連携など)だけをピンポイントでフルスクラッチ開発し、既製ツールとAPI連携させるという「部分フルスクラッチ」の発想が現実的です。この考え方であれば、開発対象のスコープを最小限に絞り込めるため、開発費用・期間ともに全体フルスクラッチと比べて大幅に圧縮できます。要件定義の段階で「本当にゼロから作る必要がある機能はどこか」を切り分ける作業そのものが、フルスクラッチ開発を成功させる最初の関門だといえます。
判断軸と進め方

フルスクラッチ・既製SaaS・SaaSベースのカスタマイズという3つの選択肢のうち、自社にとって最適なものを見極めるための判断軸を整理しておきます。どの選択肢にも一長一短があるため、「なぜその選択肢を選ぶのか」を関係者に説明できる状態にしておくことが、後々の手戻りや投資判断の見直しを防ぐうえでも重要です。
コスト・期間の比較検討
フルスクラッチ開発は初期開発だけで数百万〜数千万円規模、期間も数ヶ月〜数年単位というコストと時間を要するのに対し、既製SaaSツールはサブスクリプション契約により初期コストを大きく抑えつつ、短期間で稼働を開始できます。障害対応システムは「止まった時に使う」性質上、稼働開始までの期間が延びれば延びるほど、その間の障害対応リスクを従来のやり方(属人的な対応)でカバーし続けなければならないという機会コストも発生します。フルスクラッチを検討する際は、開発費用と期間だけでなく、開発が完了するまでの間に発生し得るリスクや、開発後も継続していく保守コストまで含めたトータルのコストで、既製ツール利用時のサブスクリプション費用と比較することが重要です。目先の「ライセンス費用ゼロ」という魅力だけでフルスクラッチを選ぶと、開発・保守にかかる人件費の総額でかえって高くつくケースも少なくありません。比較検討の際は、初期費用・月額のツール利用料・保守人件費・将来の機能追加コストまでを含めた数年単位のTCO(総保有コスト)で試算し、単年度の見た目の安さに惑わされないようにすることが重要です。
段階的アプローチ: まずSaaSベース、不足分を自社開発
独自の運用要件を満たしたい場合であっても、最初からフルスクラッチで作り込むのではなく、まずAPI・Webhookによる拡張性の高いSaaSツールをベースとして採用し、標準機能では満たせない連携部分のみを自社で開発・カスタマイズしていくアプローチが、コストとスピードの両面から合理的だと考えられます。具体的には、まずは既製ツールを標準設定のまま試験導入し、実際の運用の中で「どうしても標準機能では対応できない」という要件を洗い出したうえで、その部分だけをピンポイントで開発する順序を踏むことをお勧めします。この段階的な進め方であれば、フルスクラッチのような大規模な初期投資を避けながら、時間をかけて自社に最適化された体制を作り上げていくことができます。フルスクラッチは、規制・セキュリティ制約や極めて特殊なエスカレーション要件など、他に代替手段がないと判断された場合の最終手段として位置づけるのが、多くの企業にとって現実的な戦略です。
まとめ

本記事では、ITシステム障害対応のフルスクラッチ・オーダーメイド開発について、既製SaaSツールとの比較、フルスクラッチが向いている企業、SaaSベースにカスタマイズを加える中間的アプローチの事例、そして判断軸までを体系的に解説しました。フルスクラッチ開発は、自社の特殊な業務プロセスやレガシーシステムへの完全適合、厳格なセキュリティ要件への対応が可能な反面、数百万〜数千万円規模のコストと数ヶ月〜数年単位の期間、そして開発後の継続的な保守負担を伴います。既製SaaSツールは初期コストを抑え短期間で稼働できる一方、標準的なワークフローへの適合が必要になります。LINE社のように、既製ツールをベースにAPI連携やカスタマイズを加えて自社独自の体制を実現する、あるいはRedmine・Jiraなど汎用チケット管理ツールをインシデント管理に転用するといった中間的アプローチは、多くの企業にとって現実的な選択肢です。フルスクラッチを検討する場合も、システム全体を一から作るのではなく、既製ツールでは満たせない部分だけを切り出して開発する「部分フルスクラッチ」の発想を持つことで、コストと期間を現実的な水準に抑えられます。フルスクラッチは、規制・セキュリティ制約や特殊なエスカレーション要件など、他に代替手段がない場合の最終手段として位置づけ、まずは既製ツールの拡張性を検証することから始めることをお勧めします。自社にとって最適な選択肢を見極めるためにも、複数の開発会社・SaaSベンダーに現状の要件を提示して相談してみることをお勧めします。
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株式会社ripla 代表取締役CEOとして、システムパッケージ活用、システム開発、データ分析、生成AI活用、SaaS開発、アプリ開発、EC構築など、幅広い領域で企業のDX推進と事業成長を支援している。IT事業会社出身のプロフェッショナルが集う株式会社riplaにおいて、「Impact-Driven型支援」を掲げ、単なるシステム納品にとどまらず、クライアントと同じ目線で事業成果の実現に向けた伴走支援を行う。早稲田大学卒業後、ラクスル株式会社、LINEヤフー株式会社にて事業開発やDX推進などに従事した後、株式会社riplaを創業。
