RAG(検索拡張生成)は、社内文書やナレッジをAIに参照させ、根拠のある回答を生成させる仕組みとして、業務効率化やカスタマーサポートの高度化を目的に多くの企業で構築が進んでいます。一方で「他社はどのようにRAGを構築し、本番運用まで持ち込んだのか」「実際に成果を出した事例の中身を具体的に知りたい」「PoC(概念実証)で精度が出ずに止まってしまう企業と、本番に乗せられた企業は何が違うのか」といったご相談を、私たちは数多くいただきます。製品紹介に載るような美しい成功談ではなく、現場でどんな壁にぶつかり、どう乗り越えたのかというプロセスを知りたいというニーズが年々高まっています。
本記事では、RAG構築の導入・開発事例や活用・成功事例について、住友商事・東京ガス・札幌市など実在する組織の一次データをもとに、PoCの壁をどう越えたか、現場業務をどう変えたかというプロセスに焦点を当てて解説します。事例を通じて自社構築のヒントを得たい方は、まず全体像を体系的に整理したRAG構築の完全ガイドもあわせてご覧ください。本記事は、その完全ガイドでは触れきれない「実際の現場でのプロセス」を、できるだけ具体的な数字とともに掘り下げる内容となっています。RAGは設計次第で成否が大きく分かれる技術であり、先行事例から学べることは少なくありません。
▼全体ガイドの記事
・RAG構築の完全ガイド
PoCの壁を越えて本番運用に到達したRAG構築の事例

RAG構築の現場でもっとも多い失敗は、PoCで一定の手応えを得たものの、回答精度が業務に耐えるレベルに届かず、本番運用に移行できないまま頓挫してしまう「PoC死」です。検索拡張生成は、社内文書を読み込ませればすぐに正確な回答が返ってくるという単純な技術ではありません。文書の分割方法や検索の仕組みを丁寧に作り込まなければ、見当外れの回答を量産してしまいます。ここでは、その壁を実際に越えた具体的なプロセスを事例から見ていきます。
東京ガス:初期精度ほぼゼロからの実用化プロセス
東京ガスのRAG構築事例は、PoCの壁を越えるプロセスを学ぶうえで非常に示唆に富んでいます。同社の初期のPoCでは、社内文書を読み込ませて回答させても、精度がほぼゼロに近い状態だったと報告されています(出典:東京ガス)。多くの企業であれば、この時点で「RAGはまだ使えない」と判断し、プロジェクトを止めてしまうところです。実際、最初のPoCでつまずいて構築をあきらめてしまう企業は少なくありません。
しかし同社は、精度が出ない原因を切り分け、文書を適切な単位に分割するチャンキングの見直しに着手しました。あわせて、キーワード検索とベクトル検索を組み合わせたハイブリッド検索を導入し、関連する文書を取りこぼさない検索の仕組みを整えています。これらの改善を一度きりではなく反復的に積み重ねた結果、最終的に業務で使える実用レベルの精度まで到達しました。
この事例が教えてくれるのは、RAGの精度は「最初の一発」で決まるものではなく、改善のサイクルを回した先に獲得されるものだという事実です。とくにチャンキングとハイブリッド検索は、RAG構築における精度改善の二大要素と言ってよく、初期PoCで精度が出ないときに真っ先に見直すべきポイントです。文書をどの粒度で分割するか、どの検索手法で関連箇所を引き当てるかという地道なチューニングの積み重ねが、ほぼゼロの精度を実用レベルへと押し上げたのです。
反復改善を前提としたRAGプロジェクトの設計
東京ガスの事例から導かれる実務的な教訓は、RAG構築を「一度作って終わり」ではなく「改善を前提とした継続的な取り組み」として設計すべきだということです。具体的には、PoCの段階で精度が出なかったとしても、その原因を定量的に切り分けられる体制をあらかじめ用意しておくことが重要になります。精度が出ない理由を感覚で判断していては、改善のサイクルは回りません。
RAGで精度が出ない原因は、大きく分けて「検索が悪いのか」「生成が悪いのか」「元データが悪いのか」の3つに分類できます。検索が悪ければチャンキングや検索手法を、生成が悪ければプロンプトやモデルを、元データが悪ければ文書の整備を見直すというように、原因ごとに打ち手が変わります。これらを切り分けずに闇雲にAIモデルを変更しても、根本的な改善にはつながりません。
事例企業が成功したのは、原因を特定し、優先順位をつけて一つずつ潰していくという地道なプロセスを回したからです。RAG構築を検討する企業は、初回の精度ではなく「改善のサイクルを何回回せるか」という観点で、プロジェクト計画やパートナーを評価することをお勧めします。PoCの段階から評価データセットを用意し、改善のたびに精度の変化を数値で追える仕組みを組み込んでおくことが、本番到達への近道です。
全社活用で圧倒的なROIを実現したRAG活用の成功事例

RAG構築の事例を評価するうえで、もっとも説得力を持つのは投資対効果(ROI)を定量的に示せたケースです。社内文書を参照して回答するRAGは、検索や資料探索にかかっていた時間を大幅に削減できるため、全社規模で使われると効果が桁違いに積み上がります。ここでは、社内ナレッジを参照するAIアシスタントの全社活用によって、巨大な効果を実現した事例を取り上げます。
住友商事:月間約1万時間・年間約12億円の削減
住友商事の事例は、社内ナレッジを参照するAIアシスタントの全社導入がもたらす効果のスケールを象徴するものです。同社はMicrosoft 365 Copilotを全社的に導入し、月間で約1万時間の業務時間削減と、年間で約12億円規模のコスト削減を実現したと報告されています(出典:住友商事)。これは一部門の限定的な改善ではなく、全社員が日常業務の中で社内情報を参照するAIを使いこなした結果として積み上がった数字です。
この事例から読み取るべき本質は、RAGの効果が「1件あたりの削減時間×利用件数」という掛け算で決まるという点です。1人あたりの削減時間が小さく見えても、全社規模で日常的に使われれば、月間1万時間という巨大な総量になります。RAG構築を検討する際は、特定の部門だけでなく「誰が・どれだけの頻度で社内情報を参照するか」という利用の広がりを設計段階から想定することが、ROIを最大化する鍵となります。
もう一点見逃せないのが、効果を「時間」だけでなく「金額」に換算して示している点です。月間約1万時間という削減量は、それだけでは経営判断の材料になりにくい数字です。これを年間約12億円というコスト換算に落とし込むことで、投資対効果が経営層にとって直感的に理解できる形になります。RAG構築を社内で推進する際は、削減時間を人件費単価で金額換算し、構築・運用にかかる費用と並べて提示する工夫が、稟議を通すうえで有効です。
費用感とROIをどう天秤にかけるか
大規模なROIを実現した事例を自社に引き寄せて考える際は、構築にかかる費用感もあわせて把握しておくと判断がしやすくなります。一般的な目安として、小規模なPoCであれば50万〜200万円・1〜2ヶ月程度、中規模な本番システムの構築になると1,500万〜4,000万円・3〜6ヶ月程度が一つの相場感として語られます。まずは小さく始めて効果を確かめ、手応えを得てから本番投資に踏み込むという段階的なアプローチが現実的です。
住友商事のような効果が実現できれば、本番構築の費用は十分に回収できる規模感です。重要なのは、費用の絶対額だけを見て判断するのではなく、削減できる時間とコストを試算し、投資額と並べて評価することです。費用の内訳や見積りの考え方を細かく詰めていく作業は要件定義の段階で行うものですが、事例の文脈では「効果が費用を上回る設計になっているか」という視点を持っておくことが、投資判断の出発点になります。
現場業務そのものを変えた行政・金融分野のRAG活用事例

RAGの活用は、民間企業だけでなく行政・公共・金融分野にも広がっています。これらの分野の事例は、厳格なルールや手続きが多い環境でも、社内規程やナレッジを参照するAIが現場業務を効率化できることを示しており、規制業種やバックオフィス業務での構築を検討する企業にとって参考価値が高いものです。ここでは、現場業務そのものを変えた行政・金融の活用事例を取り上げます。
札幌市:旅費事務の処理時間を27.2%短縮
札幌市が両備システムズと取り組んだ事例では、AIエージェントを旅費事務に活用し、処理時間を27.2%短縮したと報告されています(出典:札幌市)。旅費精算のような定型的かつ確認項目の多い事務は、規程との突合せやチェック作業に多くの時間がかかります。ここに、規程やマニュアルを参照して確認を補助するAIを組み込むことで、職員が判断に集中できる体制を実現したのがこの事例の特徴です。
注目すべきは、RAGの仕組みが単なる問い合わせ応答にとどまらず、業務フローの中に組み込まれた「エージェント」として機能している点です。質問に答えるだけでなく、規程に照らした確認や処理の補助を行うことで、現場業務そのものを効率化しています。これは、RAGの活用が「文書を検索して答える」段階から「業務を自動化する」段階へと進化していることを示す好例です。
行政分野の事例が民間企業にとって参考になるのは、規程やルールが厳格な環境でもRAGが成果を出せると実証している点です。旅費精算のような業務は、確認すべき規定が多く、判断にばらつきが生じやすい領域です。こうした業務に、根拠となる規程を参照して回答するRAGを組み込んで27.2%の時間短縮を実現したという事実は、自社のバックオフィス業務にも応用できる可能性を示しています。定型的で確認項目が多く、参照すべき文書が明確な事務処理は、RAG構築の活用余地が大きい領域だと言えます。
日本銀行:AIエージェントによる市場モニタリングの公募
金融分野では、より高度な活用への動きも始まっています。日本銀行は、AIエージェントによる金融市場モニタリングの概念実証・実装を公募したと報告されています(出典:日本銀行)。膨大な市場データや関連資料を参照しながら状況を把握するモニタリング業務は、社内外の情報を根拠として引き当てるRAGの仕組みと親和性が高い領域です。
この動きが示すのは、RAGの活用範囲が「社内問い合わせ対応」という入口を超えて、専門業務の支援や監視といった領域にまで広がっているという事実です。自社で構築を検討する際も、まずは問い合わせ対応や資料検索から始めつつ、将来的には現場業務への組み込みや専門業務の支援へと発展させていく道筋を描いておくと、構築投資の価値を長期的に高められます。RAGは入口を作った後の発展余地が大きい技術だという点を、これらの先進事例は教えてくれます。
事例から抽出するRAG構築成功の共通要因

ここまで見てきた事例には、成功に至った共通の要因が存在します。事例を「すごい結果」として眺めるだけでなく、その背後にある再現可能な原則を抽出することで、自社のRAG構築計画に活かせます。ここでは、成功事例から導かれる共通要因と、失敗を避けるために押さえるべきポイントを整理します。
成功事例に共通する3つの要因
第一の要因は、データの整備に注力していることです。RAGの回答精度は、参照する社内データの品質に大きく依存します。成功事例の企業は、AIに読み込ませるドキュメントを整理し、適切な粒度に構造化することに相応の工数を割いています。第二の要因は、改善を前提としたプロセス設計です。東京ガスの事例が示すように、初期精度が低くてもチャンキングや検索手法の改善サイクルを回せる体制を持つことが成否を分けます。
第三の要因は、効果の可視化と横展開です。住友商事の事例のように、削減時間やコストを定量的に把握し、効果の出た使い方を組織全体に広げることで、ROIが最大化されます。これら3つの要因は、業種や規模を問わず適用できる普遍的な原則です。
・データの整備と適切な粒度への構造化
・チャンキングと検索手法の改善を前提としたプロセス設計
・効果の可視化と社内への横展開
自社でRAG構築を進める際は、この3点を計画の柱に据えることをお勧めします。
失敗事例のデータから学ぶ落とし穴
成功要因と裏表の関係にあるのが、失敗の傾向です。Canon ITソリューションズの調査によれば、228件のRAG事例のうち、成功(Good)と評価できたものは33%にとどまると報告されています(出典:キヤノンITソリューションズ)。およそ3件に1件しか成功していないという数字は、RAG構築が決して簡単な技術ではないことを物語っています。だからこそ、先行事例のプロセスから学ぶ価値が大きいのです。
同調査では、失敗原因の46%が回答品質、42%がデータ連携にあると分析されています(出典:キヤノンITソリューションズ)。回答品質の問題は、まさに東京ガスが乗り越えたチャンキングや検索の改善で対処すべき領域です。データ連携の問題は、社内文書をAIが参照できる形に整える整備の不足を意味します。失敗の8割以上がこの2つに集約されるという事実は、成功事例が注力した「データの整備」と「改善サイクル」の重要性を裏側から証明しています。自社の構築でも、この2点を最初から計画に織り込むことが、3件に1件の成功側に入るための条件です。
自社の最初の一歩をどう設計するか
事例を踏まえて自社の最初の一歩を設計する際は、いきなり全社展開を狙うのではなく、効果が見えやすく、参照すべき文書が整っている業務領域から着手することが現実的です。問い合わせ件数が多く、回答の根拠が社内文書に明確に記載されている領域は、RAGの効果が出やすく、成功体験を積みやすい入口となります。小規模なPoCであれば50万〜200万円・1〜2ヶ月程度から検証を始められます。
その入口で成功体験を作り、効果を数字で示せれば、次の領域への展開や本番構築への投資判断がスムーズになります。RAG構築は、技術プロジェクトであると同時に、組織を巻き込む変革プロジェクトでもあります。小さく始めて成功事例を社内に作り、それを足がかりに広げていくアプローチが、ここまで紹介してきた成功事例の企業がたどった共通の道筋です。失敗の8割が回答品質とデータ連携に起因する以上、最初のPoCでこの2点を丁寧に作り込むことが、成功への分岐点になります。
まとめ

本記事では、RAG構築の導入・開発事例や活用・成功事例について、東京ガスの初期精度ほぼゼロからチャンキングとハイブリッド検索の反復改善で実用化したプロセス、住友商事の月間約1万時間・年間約12億円の削減、札幌市の旅費事務27.2%短縮といった一次データをもとに解説しました。Canon ITソリューションズの調査では成功事例は33%にとどまり、失敗原因の8割以上が回答品質とデータ連携に集中していることも紹介しました。成功事例に共通するのは、データの整備、改善を前提としたプロセス設計、効果の可視化と横展開という3つの要因です。
RAG構築は、社内文書を読み込ませて終わりではなく、PoCの壁を越え、現場業務に定着させて初めて成果につながります。本記事で紹介した事例のように、小さく始めて成功体験を積み、効果を数字で示しながら横展開していくアプローチが、失敗を避けて投資を回収する近道です。自社での構築をご検討の際は、まず効果が見えやすく文書が整った業務領域を特定し、チャンキングや検索の改善サイクルを回せる体制づくりから始めてみてください。先行事例に学びながら、自社ならではの成功事例を築いていきましょう。
株式会社riplaでは、IT事業会社出身のプロフェッショナルが「Impact-Driven型支援」を通じて、プロダクトやシステムの納品・提供を目的とせず、お客様と同じ目線で、事業成果の達成をゴールとして、高品質なDX/開発支援をいたします。

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株式会社ripla 代表取締役CEOとして、システムパッケージ活用、システム開発、データ分析、生成AI活用、SaaS開発、アプリ開発、EC構築など、幅広い領域で企業のDX推進と事業成長を支援している。IT事業会社出身のプロフェッショナルが集う株式会社riplaにおいて、「Impact-Driven型支援」を掲げ、単なるシステム納品にとどまらず、クライアントと同じ目線で事業成果の実現に向けた伴走支援を行う。早稲田大学卒業後、ラクスル株式会社、LINEヤフー株式会社にて事業開発やDX推進などに従事した後、株式会社riplaを創業。
